このブログは、日本の皆様にエストニアの「今」を知っていただくためのブログです。できる限り分かりやすく、タイムリーな内容を心がけて参りますので、どうかよろしくお願いいたします。
最初のトピックは、日本の皆様にとって関心の高いと思われる電子政府について、書いていきたいと思います。とはいえ、私自身は電子政府の専門家というわけではないので、技術的な話ではなく、すでに公開されている情報や独自に収集した情報を整理し、生活者視点で分かりやすくご紹介する程度に留まることをご容赦ください。
エストニアの電子社会は、1995年、エストニア語でTiigrihüpe(ティーグリヒュペ)と呼ばれるプロジェクトから始まったと言えるかもしれません。 Tiigrihüpeは、英語で「Tiger’s Leap」とも呼ばれています。日本語にすれば、「虎の跳躍」という意味ですが、以下、タイガーリープと表記したいと思います。
タイガーリープは、1996年、現在のエストニア大統領、トーマス・ヘンドリク・イルベス大統領(当時在アメリカ合衆国エストニア大使)によって提案されました。
1991年に独立を回復したエストニアですが、1996年当時は、ソ連崩壊による影響がまだ残っており、国民も政府も経済的に非常に厳しい時期でした。そういう困難な時期にあって、全国の学校をインターネットでつなぎ、当時まだ学校現場では主流だった8ビットコンピューターを新型マシンに置き換えるため、政府は翌年の97年、プロジェクトに予算を配分することを決定したのでした。
これがいかに大変な決断だったかというと、少し前の1995年にスタートしたe-Healthプロジェクトを知る方の話によれば、当時、全国の病院全体で使い物になるコンピューターが4台しかなかったそうです。そのような状況の中、全国の学校に新型のコンピュータとインターネットアクセスを配備しようという提案が通ったわけですから、それがどういうことか、おわかりでしょう?
「エストニアの将来を子供達に賭けたのです。」
そして10年後の2007年、エストニアは世界を驚かすことになります。
電子社会建設を進めていたエストニアにとって、インターネットは、社会インフラとして欠くことのできないものとなっていました。そんな中、2007年にその根幹を揺るがす事件が発生したのです。 ロシアからと思われる大規模サイバー攻撃でした。
事件については、こちらの記事が参考になります。
後に「世界初の大規模サイバーテロだった」と言われるような国の一大事でした。 その難局を、わずか人口130万人のエストニアで育った技術者達が自らの手で救ったのです。その事実に、アメリカをはじめEU各国の関係者も驚きました。北欧の小国に、極めて秀れた技術者達が存在したことに対してです。
事件の結果を受けて、2008年、エストニアのタリンにNATOのサイバーセキュリティセンターが設立されました。エストニアがその技術力と、高度な電子社会のモデルとして世界に認められた瞬間です。
現在サイバーセキュリティーセンターは、エストニアだけでなく、EUを始め、EUパートナー各国に対してサイバーセキュリティに関する専門知識の提供、教育、アドバイスなどを行っています。
2009年には、国際サイバー法の研究や教育をリードすることを目的としてセンターの所在地であるエストニアの首都、タリンの名前が冠された、“Tallinn Manual Process”が 策定され、主にサイバーセキュリティの実務家に向けて指針を公表しています。Tallinn Manual Processは、誰でも読むことができます。
もしタイガーリープがなかったら?
事件当時のセキュリティチームについて詳しくは知りません。しかし、当時を知る方の話によれば、エストニア人で構成されたセキュリティチームによる必死の防戦には、スペシャリストに混じって若い技術者達も活躍したことのことでした。その中に、タイガーリープで育った若者がいたことは、皆さん想像に難くないと思います。
もしあの事件で防御に成功していなければ、エストニアの電子社会は、今とは別の形になっていたかもしれません。
現在も続くプロジェクト
現在プロジェクトは、教育技術振興財団の運営するHITSAイノベーションセンターのプログラムの一部としてタイガーリープスクールとなり、名前やロゴが少し変わりました。しかし当時のビジョンは引き継がれ、今も変わらず未来のエストニアを担う子供達の教育に力を注ぎ続けています。
今後の予定
プロジェクトスタートから18年目の2015年、エストニアの電子社会はどうなっているのでしょうか。次回からは、エストニアの現在を見ていきたいと考えています。